スターウォーズエピソード7 フォースの覚醒」を見てきた。なお4・5・6を小さいころに見たのと、1・2・3については見ていない、その程度の知識(一応展開などについては知っている)
あいかわらずほとんどネタバレした状態で観に行った。
以下ネタバレ感想。

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パート4:聖なるもの
現代の漁夫王伝説すべてに、宴の行列に出てくる四つの聖なるものが出てくるわけではない。しかし「マッドマックス 怒りのデスロード」には出てくる。旧来の漁夫王伝説では、聖杯の騎士は城にたどり着き、中に入ると宴が催されているのに出くわす。この宴の途中に、四つの聖なるものにまつわる大行列が現れる。ハリー・ポッターのおかげでこの聖なるものというのが何かはわかるだろう。これは魔術的な要素を持つ物体で、この場合においては、漁夫王の傷やその癒やしにすべて関わってくる。

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パート3:聖杯の騎士
漁夫王の苦しみを終わらせる唯一の手立て、それは聖杯の騎士による探求である。時として聖杯の騎士は漁夫王その人の子孫の場合もあるが、騎士本人はそれを知らない。多くの英雄と同様この騎士も孤児であることが多い。騎士は大地に生命と活力を取り戻すべく聖杯を探し求める。しかしそれはまた漁夫王を殺すことであり、この物語の矛盾した側面を示す―――死が生命/再生をもたらすのだ。騎士が彼の使命を遂行したとき、つまり漁夫王を殺したとき、彼は生産性を取り戻した王国を支配する漁夫王の地位を得るだろう。

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パート2:漁夫王(たち)
荒野はこのような有様だが、それは漁夫王が苦しむ傷と大地が精神/魔術/象徴の層で結びついているからだ。癒されることも死ぬことも叶わずに苦しみ続ける膠着状態にある漁夫王その人が荒廃をもたらしている。彼の傷とはおおむねその生殖能力と関わっている。彼は年を取りすぎているか、股間か足に傷を負うことで不具となっている。いずれにせよ彼は不能であり、王国も不毛となる。彼はこの状況を打破する聖杯の騎士を求めている、聖杯の騎士の手で漁夫王は死ぬことができるのだ。

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The Dinglehopper という映画・コミック評論ブログに載っていた ‘Mad Max: Fury Road’: Another Modern Fisher King Myth という「マッドマックス 怒りのデスロード」評が大変面白かったので、執筆者の Erin Perry さんに許可をいただいて訳してみた。
参照:漁夫王(Wikipedia)


Original Article (written by Erin Perry)
‘Mad Max: Fury Road’: Another Modern Fisher King Myth, Part 1: The Wasteland
‘Mad Max: Fury Road’: Another Modern Fisher King Myth, Part 2: The Fisher King(s)
‘Mad Max: Fury Road’: Another Modern Fisher King Myth, Part 3: The Grail Knight
‘Mad Max: Fury Road’: Another Modern Fisher King Myth, Part 4: The Hallows
Translated by k_ayuno
I express my appreciation to Erin Perry for allowing me to translate her article.


「マッドマックス 怒りのデスロード」:もう一つの現代的漁夫王伝説
パート1:荒野
昨春、私は映画「トゥモロー・ワールド」(原題 "Children of Men" )と昔の漁夫王伝説とを照らし合わせる一連のポストを投稿した。その中で、私は現代の物語においてこの伝説が用いられていることの背景について触れている。興味のある人は読んでほしい。

「マッドマックス 怒りのデスロード」が公開されると私たちは公開第一週に見に行ったのだが(私たちの二人目の子供が生まれる前に見た最後の映画だった)*1ジョージ・ミラーもまた漁夫王伝説を翻案していることは明らかだった。漁夫王は苦しみに囚われた傷ついた王である。彼は異界の城に住み、近臣たちと宴を催しているが、彼らは王国が本当に必要としているところは気にも留めない。そして彼の傷は王国と直接結びついており、彼が苦しみ続ける限り、彼の王国もまた荒野となって苦しみ続けるのだ。大地は不毛になり、汚染されている。漁夫王は探求の騎士*2がたくさんの疑問を投げかけてくれることを待っている、というのもそれが彼の置かれた状況を打破し、彼に死をもたらしてくれるからだ。彼の死によって生と死の強大な循環が蘇り、大地もまた季節が巡る健康さを取り戻す。
私は「怒りのデスロード」がいかに漁夫王伝説と呼応しているかを深く掘り下げ、「トゥモロー・ワールド」と同様複数のポストに分けて投稿する。まずは目に明らかな点から挙げていこう。

*1:訳者註:このブログは夫婦が運営している

*2:訳者註:多くは聖杯を求めて旅している。有名なのにはアーサー王の伝説がある

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『マッドマックス 怒りのデスロード』(以下MMFR)を観てから一ヶ月以上経つけど見事に熱が冷めず、あの後二回観に行ったり、メル・ギブソン主演の前シリーズをすべて観たり、友人とマッドマックスについて語り合うべく大阪まで足を運んだりしていた。
MMFRについては以下に紹介する記事が面白いと思った。
「マッドマックス 怒りのデスロード」観てきた(流れを知りたい人)
水耕栽培農家の視点から見る「マッドマックス 怒りのデス・ロード」 (イモータン・ジョーが行っていた水耕栽培という観点から見るマッドマックス)
マッドマックス 怒りのデスロード:一度でも精神を患ったことがあるなら、もう一度見るべき映画 (マックスは精神を病んでいるという指摘)
『マッドマックス』はなぜあんなにもヒャッハーできるのか (単純にヒャッハーするためにどういう作品構成になっているか)
叙事詩としてのマッドマックス (マッドマックスの叙事詩性)
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は映画の始原を辿る (前作シリーズも踏まえたマッドマックス評)
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ジョージ・ミラー監督インタビュージョージ・ミラーインタビュー)
ケアと癒やしの壮絶ノンストップアクション〜『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ネタバレあり) (マックスがフュリオサの「癒し手」であるという指摘)
19 Batshit Moments In “Mad Max: Fury Road” We Can’t Stop Talking About (マッドマックスの19のここがすごい・英語)


今回Twitterでもいろんな意見を聞いて楽しんでいるけれど、気になっているのが「マックスが全然 mad じゃない」という意見。確かに爆発するような狂気は感じられないし、どちらかというと内省的な傾向が感じられる(これについては上に挙げた記事を参照されたし)けれど、マックスの mad は感情的な狂気ではなく社会の構造における狂人としての役割、早い話が「道化役」なんじゃないかというのが個人的な意見。
ということで、「マックスは何故MADなのか」を考えてみた。
なお文中のセリフ(英語)についてはこちらのフルダイアローグ を参考にした。アンゼたかし氏による日本語字幕訳については記憶に頼っているので、間違っていた場合ご指摘いただけると嬉しい。

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