読了。

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

ブラッドベリがやってくる―小説の愉快

「忘却」の文学史―ひとは何を忘れ、何を記憶してきたか

「忘却」の文学史―ひとは何を忘れ、何を記憶してきたか

ガウディになれなかった男―歿後、不遇の天才に屈したバルセロナ建築界のドン

ガウディになれなかった男―歿後、不遇の天才に屈したバルセロナ建築界のドン


ブラッドベリがやってくる』より。

「生命の木にのぼり 自分に石をぶつけ 骨も折らず、魂もくじけずに また降りてくる法 本文にくらべて さほど長くもないタイトルの ついた序文」

では――と言われるかもしれない――書いていて何がわかるのか。
まずは第一に、我々は生きているということがわかる。そして、生きているのは特別にあたえられた状態なのであって、もとからの権利ではないともわかる。(中略)
われわれの芸術は、こっちから期待するほどの救いにもならなくて、戦争、窮乏、羨望、我欲、老齢、死といったようなものを防ぎきってはくれないが、そのまっただなかにある人間を再活性化することはできる。
第二に、書くことはサバイバルである。いかなる芸術も、良質の芸術であるならば、すべてそうである。
かなりの人間にとって、書かないということは死につながる。(中略)
作家がどうなるのかというと、世界に追いつかれて心が病みそうになる。書くことを一日さぼれば、そういう病毒が身体にたまって死にかける。ないしは、発狂したようになる。ないしは、その両方である。
つまり、書くことに酔ってないといけない。それでもって現実に滅ぼされずにすむ。

「速く走る、ぴったり止まる あるいは階段の上のもの あるいは古い精神に発する 新しいお化け」

また、私および私の犬にまつわるストーリーは、浮上するまでに五十年かかった。「お救いください、私は罪深いのです」のなかで、私は十二歳のとき犬を打ちすえた記憶を追体験している。この行為について、私はけっして自分を許さなかった。ストーリーを書くことによって、私は残忍な子供を見つめなおし、その亡霊、および愛犬の亡霊を、安んじて眠らせることができたのだ。

「禅と小説」

量をこなせばいつかは質につながる、と私は信ずる。(中略)
量は経験となる。そして経験によってのみ、質が得られる。
あらゆる芸術は、その大きい小さいにかかわらず、無駄な動きを切り捨てて、簡潔な表現を打ちだすということである。

自問してみることだ。「この私の本当の世界観はどんなだろう。私は何を愛し、恐れ、嫌うのか」ということを、紙の上にぶちまける。(中略)
どのような世界観を持つか。自分がプリズムだと思って、世界の光を測ること。光は精神を通過して燃え、どこの誰とも違ったスペクトル分析の図柄を、白紙に描きだすだろう。
自分を貫いて世界が燃えるようにする。白熱したプリズム光を紙の上に投げる。自分だけの個性あるスペクトル図形を描く。


『<忘却>の文学史』より。
第二章「人間も忘れれば神もまた忘れる」

アウグスティヌスの信仰の核心にあったのは、彼が罪深くも忘却した神が実は彼を決して忘れることはなかった、という深刻な体験であった。

ベアトリーチェはあまりにも若くして死んだが、ダンテは、「わが魂の記憶に生きる気高き淑女」と心に深く感じ入っていた彼女に対して、その生前中に、みずからの崇敬の想いと愛とを十全に表現することができなかった、という思いにとらわれていた。そして彼女が此岸を去り、すでに<故人> Selige (イタリア語は beata 、そこから Beatorice )となって天国に迎えられたいまは、ダンテは地上の人のつねとして、彼女の想い出を忘れかけている。というのも、若きダンテの眼が見目麗しい他の女人へとさまよい出るのは、自然のなりゆきだからである。このような「呪われた眼」は、ダンテ自身にとっても赦されざるものなのだ。

死ねばその後はいざ知らず、お前らはこの世を去った
かの淑女を決して忘れてはならないのだ

ダンテは、『神曲』より先に編んだ『新生』の最後のところで、ベアトリーチェ亡き後も彼女のことを片時も忘れず、あらゆる忘却の誘惑を遠ざけ、彼女のことを覚え続けていることができるような言葉の記念碑を建てるのだ、と誓っている。そこではベアトリーチェは。「他のいかなる女性も、詩人によって讃えられること、いまだかつてなかったほどに」高らかに讃えられるはずであった。
これこそが記憶の作品『神曲』を成り立たせている根拠である。

第八章「忘れる権利は誰にもある。だが忘却することで安寧が得られるか?」

ユダヤ人個人、またユダヤ宗教共同体の生活において、「ヨベルの年」もしくは「大赦年」に当たる年が他の年に比べて並外れているのは、この年には――といっても、どのみち七年ごとに巡って来るのだが――滞っている負債が免除されることになっているからである。(中略)大赦の形式は、聖書の別のところで、短くまとめて、次のように言われている。「大赦の年、そのときに誰しもがふたたび自分自身に還るべし」と。(中略)
五十年ごとに、とモーゼは定めた、ヨベルの年は祝われねばならないのであると。
自身の生涯の五十年目、つまり彼の一生におけるヨベルの年に、パウル・ツェラーンは自由意志で生に別れを告げた。この死の謎は、私たちには解けない。しかし私たちは知っている。セーヌなる名前の河流がツェラーンの肉体を運び去ったことを。だが、彼の詩魂を運び去ったのは、セーヌとは異なる名前の河、永遠のレーテであったことを。

第九章「アウシュビッツ忘れまじ」については切り出すことができないので引用を避ける。