「ニート」って言うな! (光文社新書)

「ニート」って言うな! (光文社新書)

ニートとして興味深く読んだ。*1
まあまだいろいろ考えている段階だけど、とりあえず最近はみんな分類分けが好きなんだなと思った。それでもって分類して自分はやつらとは違うんだと考えていろいろ石投げて満足しているんだなって思った。そして自分が石投げられたら「ひどいわ、私が何したっていうの、しくしく」か「何て常識がないんだ、私が何をしたっていうんだ、ぷんぷん」の二パターンくらい。もち例外あり。
あとあの前も考えたけど、「自分の判断による発言によって起こりうる苦難はすべて受け入れる」という精神はどこにいったんだろうな。「みんなと同じこと言っていれば自分は傷つけられないですむよね」ということで違う人に石投げて楽しんでる感がある。うがちすぎ?
「自分の考えていることを自由に発言する」権利は、「その結果他人を不快にし発言を批判され、否定され、抹殺される」可能性とセットになっているのだと思う。もちろんこの発言も、他人を不快にして批判されて否定されて抹殺される可能性を持っている。ただの言葉遊びでしかないな。


とりあえず「ニート」という言葉の正しい定義をできればマスコミ主体で一般化しないといけないと思うんだが、マスコミがニートで盛り上げるのを仕事にしているからマスコミ主体は無理だな。そしてマスコミ主体でやらない限り、一般化は難しい気がする。
っていうか日本ってつくづく「言葉を言い換えたら本質は変わる」って考える国なんだよなあ。
私には昨今もてはやされる「個性」っていうのは一昔前の「肩書き」の言い換えに見えるし、「ニートのような甘えたは教育で治せる」ってのは「根性論」の言い換えに見える。
本来「精神」ってのは人の特性や傾向を判断する材料でしかなく、人を矯正する手段ではないと思うんだが……この認識自体が「常識」はずれであり、滅殺されるべきなんだろうか。
みんな「精神」を治すことばっかり考えているみたいだけど、そう言っている人は「あなたの『精神』は間違っています。私の考える正しい『精神』にあなたを治してあげましょう」と言われて納得できるんだろうな。しろよ。そう言ってるんだから。


「傷つかない」権利ばっかりみんな追い求めていて、「傷つく」権利というのは存在しないってみんな考えてるんだろうか。私も含めて。

*1:世間でそう呼ばれるところのニートという意味で。本来的な「ニート」とは多少違っている。籍は残っているけど休学中。バイトしてない。実家住まい。家からあまり出ないw