自分が最近ずっと考えていることを、それについて一つも喋っていない人がぱっと話していると、なんとなくびっくりする。しかし因果性はそこにない。「偶然」同じことを考えていたというだけで。それが共時性というやつでないかと、自分なりに考えた。
よく「自分(もしくは自分たちが)オリジナルである」と主張する人、もしくは人たちがいる。もちろんそれを主張すべきであり、そうすることでその人たちの権利が守られるべき場合がある。だけど時に、「『オリジナルである』ということが絶対的な優位性を持つことに繋がる」と考えている人がいるような気がする。「オリジナル」というのは点でしかない。点は円を伴う。そして点は消滅する。そして円が残る。なくなった点がどこにあるか確かめるすべはない。もしかして点は一つではなかったのかもしれない。いくつもいくつもあったのかもしれない。その点が発生したのが早かろうが遅かろうが問題でない。結局「人間は似たり寄ったりである」という認識にたどりつく。それでいい気がする。
自分は今まで会ってきた存在、今会っている存在、今から会うであろう存在、今まで会わなかった存在、今会っていない存在、今から会わないであろう存在に、影響され、侵食されている。完全に孤立したオリジナルは、存在しない。長く続いた一本の糸が、他の何本、何十本、何百本の糸と絡み合い存在している。その一点を掴まえて「オリジナルだ」と叫んだとしても、その糸はまたどこかへと、見えないどこかへと続いている。