で、何でパブロ・ネルーダにたどり着いたかを思い出す。
「国王」を読む→ウィキペディアでフアン・カルロス一世を調べる→フランコの葬儀でピノチェトを追い返した、のところからピノチェトのページに→チリ・クーデター→アジェンデ→パブロ・ネルーダ。亡くなったときのエピソード。

しかし翌1973年9月11日にアジェンデ政権がピノチェトのクーデターによって滅ぶと、軍事政権はネルーダの家に押し入り、調度品を破壊し蔵書を破り捨て、徹底的に家を破壊した。ネルーダはこのことで絶望し、病状は急激に悪化したといわれる。クーデターの12日後、ネルーダは危篤状態に陥り、病院に向かったが、途中の軍の検問で救急車から引きずり出されるなどして、病院に着いたときには亡くなっていた。「彼は病気で死に、クーデターで魂を殺された。彼は二度死んだのだ」とチリでは言われている。

( ;ω;)ブワッ


そのあとアントニオ・タブッキのページのテンションの高さやバルガス・リョサがペルー大統領選に立候補してフジモリに敗れたことを知って噴く。
タブッキのウィキクウォート(イタリア語)