新聞に載っていた、東野圭吾の「流星の絆」の広告に、

この小説は私が書いたのではない。登場人物たちが作りだしたのだ。

という本人のコメントがあった。
このコメントに対して私は、

  1. この作品を書く際に、初めてそういう感覚を覚えた。
  2. 今までの作品でもそういう感覚はあったが、この作品で改めてそれを認識し、ここに宣言するつもりになった。

の二通りのパターンがありえると思ったが、さて本人はどちら、もしくはこれら以外のどのような意図でこのコメントを出したんだろう。
まあ東野圭吾を読んだことがなく、読むつもりもなく、読む意欲もない人間が考えてもしかたないことだとは思いつつ。
東野圭吾を読んでいる人からしたらどうとらえられるんだろうなあ、この言葉。


なお私が問題としているのは、「東野圭吾」がこういうコメントを出した、というより、こういうコメントを出した作家がいた、という点。それが東野圭吾だったというだけで。
問題っていうほど大げさでもないか。引っかかった点っていうだけ。