再びミドルズブラvsマンU見ながら、有能な独裁者タイプの人間はやはり社会活動を潤滑に動かす上で必要な存在なんだなあと考えた。その独裁者が暴走を始めたらまあ悲劇だが。*1
社会に対する反抗者がその社会の規律を握ったとき、その既得権に存ずるか、それとも自分の既得権にすら反抗するかは大きな転換点だよなあ。そして後者は後世結構憧れの存在になりうると思う。
司馬遼太郎の「竜馬が行く」で最後、竜馬のプランでの新政府を率いるメンバーの中に竜馬の名前がないのを見つけて西郷が問いただしたら自分は政府には入らず「世界の竜馬になる」と言う下りは、そういう「自分の権利すら放棄する」潔さと美しさがある気がする。*2
まあサッカーと社会を一緒くたにするなという意見は当然だが、サッカーを取り巻くシステムやサッカークラブもまた小社会的存在と思っているんで。もう個性的すぎてどうするよとか分かるんだがそれやったらおしまいだろ的展開が毎日。あと民主主義社会の行き詰まりを今のバルセロナが体現していると思うのはどう見ても考えすぎ。まあ降格しない程度にやってくれると助かる。あと生え抜きメンバーをほいほい放出しない程度に。まあこのチームは、十年に一度くらいまばゆいばかりの輝きを放つが故のビッククラブなんだが。
個人的にはバルセロナモウリーニョが行ったら色々と楽しいなあと思うが*3モウリーニョは有能な独裁者タイプの人間で個人的にはファーガソンのように長期的に取り組めるチームが一番望ましいが、今のサッカー界の風潮ではもう難しいだろうな……。というかバルセロナほど長期的な取り組みが望めないチームもないが(苦笑)

*1:巻き込まれている人間からしたらそんなのんきに言うなと思うだろうが。当たり前に。

*2:まあ「正確性」を言い出したら小説は大きく力を削がれるが。しかし事実と想像は決して相反するものでなく、むしろそれぞれを補完するものだと私は思っている

*3:しかしそうなったらチェルシーから山ほどつれてくるんだろうな……それもそれで何だかなあ