自分の考えは引用で成り立っている。あの引用とこの引用の組み合わせで、「私の考え」が生まれてくる。オリジナリティーは「何と何をどう組み合わせるか」にしかなく、「考え」自体はオリジナルにならない。
「私の考え」を語ろうとするとき、私はあの引用とこの引用をどう表すかを考えて、「私の考え」を述べるまでに至らない。


いつか自分は「おまえは世界が字面でできていると思っているだろう」と非難されるだろうなとおもうのだが、少なくともそうは考えていない。ただ、世界を表そうとするときに、私は字面でしか表せないというだけで。