で、体調あまりよくないくせにそのまま京都府京都文化博物館カポディモンテ美術館展を見に行ったが、無茶はするもんじゃなかったという気もする。が、おそらくここで行かなかったら行かなかったのでそれはそれで良しとする。
こちらはもう作品・あれば画像・感想を淡々と。上記のような状態なので当然まともな感想は出てこない。なお一部流血表現のある画像を挿入しているので、予めご容赦。
ジョルジョ・ヴァザーリ「キリストの復活」

キリストの復活のシーンはまあともするとちょっとくすっと笑ってしまうようなシーンになってしまうとおもっているのだが、この「すたこらさっさだぜい」とでも言いだしそうなキリストは……。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「マグダラのマリア

これは一回見たときはそのままスルーしてしまったのだが、戻ってきて見返したときに「あっ、縞模様の服を着ている!」と気づいて、それは少しうれしかった。縞模様の服は中世では娼婦の着る服だった。参考→ 徳井淑子「色で読む中世ヨーロッパ」覚書メモ


バルトロメオ・スケドーニ「キューピッド」

キューピッドをかわいいとおもったことはほとんどないのだが、これを見たときぱっと「あ、かわいい」とおもったので……。


グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」

青い布をまとったアタランテの美しく青白い肌と、赤い布をまとったヒッポメネスの赤らんだ肌の対比。


ジョヴァンニ・ランフランコ「聖母子とエジプトの聖マリア、アンティオキアの聖マルガリタ」

ちょっとこの画像では見えづらいが、向かって左のエジプトの聖マリアの脇に彼女が亡くなった時墓を掘るのを手伝ったという一匹の獅子、向かって右のアンティオキアの聖マルガリタの脇に彼女が飲み込まれながら無事吐き出された竜が描かれている。
そして長いこと中世の絵画で竜に飲み込まれながらも吐き出された聖女を描いた絵があったはずと考えていたのだが、マルガリタの絵だということがここでわかった。ただしその画像はまだ見つからない……。


パルミジャニーノの素描「矢を射るキューピッド」

弓引きとしてね……。といっても洋弓と和弓はまったく違うのだが。


ヤーコポ・ティントレットに帰属する素描「ターロ河畔の戦い」


ピエル・フランチェスコ・モーラ「天井装飾案」、画像なし。


アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」

まあ西洋絵画におなじみの題材ではあるし、この程度の表現は決して珍しくないのだが、どうも慣れない……。
そしてこの絵はジェンティレスキが工房の先輩から受けた暴行によるトラウマを克服する作品ではなかったのかという解説にうーむ、となる。


マティアス・ストーメル「羊飼いの礼拝」「エマオの晩餐」

これはぜひ二枚並べて見てほしいというか「エマオの晩餐」が気に入ったのだがその画像がないという残念な結果に。
「エマオの晩餐」も「羊飼いの礼拝」と同じように真ん中の光源(「エマオの晩餐」の場合は机の上の蝋燭)に周囲の人々の顔がはっきり浮かび上がるという構図なのだが、「エマオの晩餐」ではキリストを奥側怪訝そうに見つめる青年の顔が薄暗い中に浮かび上がっている。キリストやその話を聞く人々が光源によって明暗をくっきりつけられた描写をされているのに対し、その青年ははっきり照らし出されてはいないが光を顔全体に平均的に受けている。つまり周りの人々よりも平坦に見える。その落差がおもしろかったのだが……画像で見てもらいたかった。
あと画像ではほとんど見えないが「羊飼いの礼拝」のマリアの背後にヨセフがいる。実際に見てもじっと注視しないといると気付かないくらいぼんやりとしか描かれていない。ヨセフ……。


フランチェスコ・ソリメーナ「自画像」

絵自体は別段何も感じなかったのだが、緑の服が「絵画芸術」を表していると解説にあったので。


グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」、ルカ・ジョルダーノ「給仕の少年を助ける聖ニコラウス」、バルトロメオ・スケドーニ「キューピッド」の絵葉書を買って離脱。