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京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyotoで開催されている「生存のエシックス -Trouble in Paradise-」展の特別講演会、藤森照信先生の「土と建築」を聞きに行った。
その講演会の箇条書きメモ。順不順。
- 会場は一階ホール、画像を映す大きなテレビスクリーンを前に床に座るスタイル。定員は二百名だけど、今回の「生存のエシックス」展が京都市立芸術大学130周年記念というのもあって、京都市芸大の学生さんは整理券を別枠で配られていた模様。人気ある先生だけあってスペースはいっぱい
- 本を読んだりして待っていてふと顔を上げたらすでに藤森先生が椅子に座られていたw
- 今回の講演会の題となる土。先生が建築資材として土に関心を持たれたのはここ五六年、アフリカのジェンネに泥のモスクを見に行ったときから。それ以前から土を建材として利用することはあったけど、土・泥に対する意識はあまりなかった
- 日本は世界でも珍しい土が建材として重要性を持たなかった国
- 日干し煉瓦は全世界でに一般的に使われる建材
- 土壁は構造的には意味がない、木の構造の間の詰め物、屋根の荷重を受けない壁(カーテンウォール)
- 日本で土が建材として普及しなかった理由 1.冬季の凍結 → 春の溶解で粘りがなくなり倒壊してしまう 2.木が豊かだったため、建造物の構造を木で作ることができた ⇔ 他の国はそれほど木が豊かでない分土壁・煉瓦・石で構造を作る
- ジェンネの泥のモスク - Wikipedia*1
- 泥の建築の特徴
- 建物と地面との継ぎ目(目地)がない … 目地は一般の人は意識しなくともプロが一番悩むポイント。建築には必ずある
- 目地は人工物を表している … 生物には目地がない(細胞が分裂して構成されている存在)
- 自分の立っている地面から建築物が立ち上がり、また地面へと戻って次の建築物へ……
- 泥の建築は生物と人工物の接点・中間点ではないのか
- それまでは木が最高の建材だと考えていた(自然への循環性、人一人で運べるもの、細工がしやすい) → 泥はそういった条件を完全に満たした上でそれ以上の建材 … それまでは木でガウディのような建築を作りたかったけど、今は泥で作りたい(藤森先生はガウディの建築を石で作る究極の建築と考えており、自身で究極の建築を作ってみたいとずっとおもっているとのこと)
- 世界で泥の建築と呼べるものは二つ 1.ジェンネの泥のモスク 2.サンタフェ(アメリカ、ニューメキシコ州)の泥の教会 … 現地民のプエブロインディアンと、そこに移住してきたメキシコ(マヤ)、メキシコを征服したスペインの文化が混ざった建築
- ドゴン族の泥の倉庫 … 十数年前に作った神長官守矢史料館と似ている … 自分のルーツは中央アジアだとずっとおもっていた、泥への意識は五六年前から
- http://www.city.chino.lg.jp/ctg/07190000/07190000.html
- 縄文時代から続くという神長官守矢家の史料を保管。この村で育った藤森先生は現当主と幼馴染。藤森先生が初めて設計した建物
- 建築するに当たっての課題 1.文化財を入れる新しい建物はコンクリートで作らなければならない 2.守矢家の伝統や村の景観と合致しなければならない ⇒ コンクリートの建物を自然素材で包む
- デザイン:現代建築には似せない(現代建築家との類似を指摘されるのを避けたい)&歴史的建築にも似せない(建築史家であることを指摘されるのも避けたい)
- 住民には大不評 … 「あばら家みたい」、今でも理解してもらえていないw
- 建築界にも評価を聞いてみたが評価してくれたのはたった一人(名前がよく聞き取れず) … 「誰も理解してくれないときに理解してくれた人は恩人」
- 友人たちからは「よくわからないけど面白いから続けなさい」
- http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/akinofuku/index.htm
- 美術館の設計を頼む人を探していた秋野さんが神長官守矢家史料館を見て頼んできた
- 最初は谷間に作る予定だった … 実際に現地を見た秋野さんが嫌がる、「こんなところに埋められたくない」(実際美術館の床に秋野さんの骨壷が埋まっている)
- 土の壁への挑戦 … どんな土であっても凍結・溶解には耐えられない → 「本気で偽の土を作る」 … セメントに藁を混ぜて土色に塗り、さらに表面に薄く泥を塗る → 日本屈指の左官がだまされる … 藁とくれば土を連想するので、セメントだとは気づかない
- 泥という建材
- ねむの木こども美術館 どんぐりの芝棟作り中のエピソード
- 芝棟は屋根の上に土を盛ってその上に芝を植えたもの、日本とフランスの一部に残る(参考 芝棟の画像) → いつも談笑しながら作業を手伝ってくれるメンバーが黙々と作業する → 終わった後メンバーの一人(南伸坊さんw)が「もっとやりたい」と言い出す(いつもは「もう手伝うものかー」とか言ったりしながらまた手伝ってくれる)
- 泥はいじっているうちに意識が消えていく、無我夢中になる、没入する、そういう素材
- 泥を建物の内壁を塗ってみた … 印象に残らない → 見る人の意識をも吸収してしまう … 造るときも見るときも人の意識を吸収してしまう、芸術とは正反対の性質 → 人間の表現するということと根本で結びついた素材ではないか?
- 自分のやっていることの認識
- 「ユニーク」という評価に、そうだとはおもわない、普通にやっているだけのつもり … ユニークさがあるとすれば、それは子供の頃の経験や45歳まで設計をやらなかったことからではないか
- 自分がやっていることはよくわからない … 面白がってくれるけど真似する人はいない … 設計家としてスクールを形成することはない
- 造形について … 地球が生物絶滅の危機に陥るたびに三葉虫が発生する → 自然の中には造形上の制約が存在するのではないか、所詮人間はその制約の中でしか活動していないのかもしれない(宇宙人が来たらその造形から自分たちの造形的制約を見出すことができるかもしれない)
泥で究極の建築を作るとしたらそれは「どんな」ものになるのかを訊いてみたかったけど、時間切れで訊けなかった。
*1:テレビスクリーンに映し出された写真に「泥の建築をガラスのスクリーンに映すのはなあ……布のスクリーンがよかったんだけどな」とつぶやいていらっしゃった