私は今までの十数年間、小説を書くことが好きだった。
くだらないものばかりでも構わなかった。もちろん誰かに読んでもらいたいというのはあったけど(でなければHPなんて作らない)、それで誰かに褒められたいという気持ちは薄かった。どうせ使う人もいないだろうと拍手やメルフォはHPに置かなかった。*1
要は書ければよかった。書くことがあればよかった。書くということを考えていられればよかった。そういう十数年を過ごしてきた。
書くことで自分の中の何かが救われればとおもっていた。
そうではない、というのは実はけっこう前からわかっていた。書いても自分の中にある問題は浮き彫りになるだけで、何も救われないことは気づいていた。でもあがくように書き続けていれば、何かの糸口が見つかるのだとおもっていた。書くことで何らかの力を得て、救われるための何かへと踏み出せるのではないかと。
そして今日、私は電車に乗りながら一つのことを考えた。書くことで自分の中の何かが救われると信じていた、けれど、もしかして、書くことが私をめちゃくちゃにしているのではないかと。
書くことが力になっているのだとおもっていた。消えたいと強く願っていた時期を何とか乗り越えられたのは、自分の中の物語を書き終わらずに死ぬことはできないとおもったからだった。彼らをこのまま私の頭の中に留めて死なせるわけにはいかないと。
だけど今日私は、書くという行為を信じられなくなった。書くということが自分にとって大事なことなのだと信じられなくなった。
明日になれば私はきっとけろっとまた何かを書くだろう。書こうとおもっているあの話この話を書くことを考えるだろう。けれどその私は、書くことが自分にとって大事だと信じていた私とは違う。
明日の私はやっぱり自分には書くことが大事だとおもっているだろう。けれど書くことを信じなくなった私がいたことは変わらない。
たぶん「書く」という行為に携わる人なら当たり前のように経験することだとおもう。「書く」ことに限らず何か大切だとおもうことを持っている人なら誰でも通る通過点だろう。
それが今日、私にやってきただけの話。

*1:そんな私に申し訳程度に置いていたアドレスを見つけてわざわざメールであなたの作品が気に入ったと伝えてくれたMさん、ここで申し訳ないけど本当にありがとう。不義理をしていてごめんなさい