読了。

カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ

カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ


「第一章 軽さ」

メドゥーサの首を打ち落とすことができる唯一の英雄はペルセウスです。彼は翼のついた靴で飛んでゆきます。またペルセウスは自分の眼差しを直接ゴルゴーンの顔に向けずに、青銅の盾に映るその像に注ぐのです。(中略)自分が石にされずにメドゥーサの首を切るために、ペルセウスは存在するもののなかでももっとも軽いもの、風と雲の上に身を支えて、ただ間接的な視像(ヴィジョン)、鏡が捉えた映像(イメージ)のなかでのみ正体を現すものに目をむけるのです。


世界の果てでダンス―ル=グウィン評論集

世界の果てでダンス―ル=グウィン評論集


「暗い嵐の夜でした、あるいは、なぜ私たちは焚火のまわりに集まるのか?」

その物語を通して、それを語ることを通して、私たちは同じ血族となるのです。物語をくわえてごらんなさい、そして血が出るまで噛むのです。それが毒性のものでないことを願いながら。


「散文と詩の相互作用」

翻訳というのは実に謎めいています。いよいよ私は書くという行為そのものが翻訳である、あるいは他のいかなるものよりも翻訳のようなものであると感じるようになりました。もうひとつのテクスト、オリジナルは何でしょう? 私は答えを持ち合わせていません。私はそれは源だと思います。様々な観念が泳いでいる深い海です。それを私たちは言葉という網で捕え、光を放っている言葉を振るって船にあげる……船の中、観念はこのメタファーの中で死に、缶詰にされ、サンドイッチとして食べられてしまうのです。何かを向こう岸に渡すには船が必要です。あるいは橋が必要です。ではどんな橋でしょう? メタファーはすべて自滅的です。私は頑固にも詩であれ散文であれ、ものを書くことは翻訳となんら変わるものではないという考えを未だに持っています。翻訳をする際、手始めにまず言葉からなるテクストを手にします。ものを書いたり創造したりする際にはそのようなテクストはありません。言葉ではないテクストを手にしているのです。そして言葉を見つけるのです。もちろん、それが異なっている点です。けれども、正しい順序で正しい言葉を手に入れる、韻律を正しくするという仕事、これらは同じことです。同じ感覚です。
恐らく、だからこそ時として異なった言語で、異なった国々でものを書いている多くの作家たちがみな、小鳥や魚の群のように、何の交流も持たないのに同じ方向へ向かっているように思えるのではないでしょうか。突然みんなが同じことを新たにはじめ、相手が何をしようとしているのか理解しているのです。彼らはみな言葉になっていない同じテクストから自分自身の語法あるいは個人言語に翻訳しているのです。


サイエンス・フィクションと未来」

アンデス山脈ケチュア語を話す人々はちょっと違った考え方をしているようです。彼らは過去とはあなたの知っていること、あなたが見ることのできるもの――だからそれはあなたの正面に、すぐ目の前にある――と考えます。(中略)彼らは私たちと同様きわめて論理的ですから、未来は後ろに――あなたの背後に、肩越しに存在していると主張します。未来は振り返ってちらりと垣間見るということがない限り、あなたには見ることができないものです。そして時として、あなたは見なければよかったと思うようなものです。なぜってあなたは後ろからあなたにこっそり迫ってくるものを見てしまったことになるからです……。(中略)少なくともこれは『未来に向けて前進すること』についての私たちの議論はメタファーであること、動かないこと、他者を受け入れること、開放的であること、平静でいること、静止していることに対する私たちのマッチョ的な恐怖に基づいた、恐らく文字通りこけおどしとさえ捉えられる神話的思考の一端であることを思い起こさせてくれます。


「『あなたはどこからアイディアを得るのですか?』」

第一の神話――作家であるためには秘訣がある。その秘訣を学べば、人はすぐさま作家になれる。そして、その秘訣とはアイディアの出処(でどこ)なのではないか。(中略)まず第一の神話をさっさとやっつけてしまおう。『秘訣』は技術である。何かを成す方法を習得していない人には、その術を知っている人々は魔術師、神秘的な秘訣の持ち主のように見えるかもしれない。(中略)しかし、家事、ピアノ演奏、衣服の縫製、物語の執筆といった複雑な技術の場合、あるものは伝授可能、あるものは不可能といった、あまりにも多くのテクニック、技、方法の選択、あまりにも多くの多様性、あまりにも多くの『秘訣』があるため、それらを習得するには組織的・反復的練習を長く継続すること――言い換えれば作業をすること――以外に何もない。
近道を見つけて、あらゆる作業をすることを回避したいという秘訣の探求者を誰が責めることができよう?(中略)
多くの芸術家たちのそのテクニックや方法などに関する秘密主義は、未熟な人間に対するひとつの警告――それに向けてあなたが努力しなければ、私にはうまくいくことも、あなたにはうまくいかないであろう――と取れるかもしれない。