タブッキ朗読会に参加してきた。
アントニオ・タブッキ追悼朗読会
会場は「6次元」。ビルの二階にある小さな本屋さん。イベントもよく開かれているとのことだった。
会場入りが開演五分前だったので、割と奥の席に通された。反対側の奥の席には今回のゲストの和田忠彦先生がいらっしゃった。
参加者がそれぞれタブッキの文章、もしくはそれに関する文章を読んでいくという形式。正式な人数を数え忘れたが、二十人前後だったと思う。メモを取ろうかと思ったが、やめた。そのため、この文章はかなり記憶違いが混ざっている。あしからず。

最初に主催者さんによる開演の挨拶の後、和田先生が挨拶。先生はイタリア語の文章をお読みになられた。波が寄せるような、抑揚のよく効いた朗読だった。
参加者の朗読によってはその後で簡単な解説を付け加えられていた。タブッキと奥さんは絵手紙のコレクターということ、タブッキにはいくつもの家があったこと(故郷とパリとリスボンの三軒だったと思う)、一週間前にあったタブッキシンポジウムのこと、『いつも手遅れ』の表紙に使われた写真のこと。きちんと覚えているのはこの辺り。
タブッキシンポジウムに参加し朗読もしたタブッキの孫娘さんを男の子だと勘違いしていた人、リスボン旅行で熱射病で倒れて夢うつつをさまよった人、武満徹の文章とタブッキの文章を組み合わせた人、二つの話から電車のくだりをつなげて読んだ人、校正をしていて思わず「読者」になってしまった箇所を読み上げた人、128分の1ポルトガル人の血が混ざっていると言っていた人、自分のトラウマと重なりあった文章を読み上げた人、タブッキを読んで自分の詩をブラッシュアップしてきた人、朗読を聞きながらイメージを絵にしていった人(ペレイラを女性だと思って描いたというのはすばらしい)、たまたま読んだブログでタブッキの名前を目にした次の日にタブッキの訃報に出くわした人、初めてタブッキの本を開いてその場で読み上げた人、星をつないで星座にするように砂時計のイメージから朗読を繰り広げていった人、映画版『インド夜想曲』の原作にないシーンを探し出した人、未邦訳のタブッキ作品を自分で訳してみた人、その他にもいろんな理由があってタブッキに出会い(もしくは出会わされ)、この朗読会にやってきた人たちだった。
今回朗読会に参加するにあたって購入した『他人まかせの自伝』から、「『ポルト・ピム』の女」の一節を読ませていただいた。緊張もあってとんでもない早口になった。
黙読と朗読はまったく同じとはいかないけれど、しかし、この人がタブッキを読むときはこういうリズムが体の中に流れているのだな、と思いながら聞いていた。
朗読会主催者さんのご厚意で、自分が書いたタブッキに関する文章をスタッフさんに朗読していただいた。その方が和田先生の隣に座っていらっしゃっていたので変な汗をかいた。しかし、自分の文章を人に朗読してもらうという経験は、そういえば初めてだった気がする。
終了後は主催者さんにご挨拶して、和田先生にサインをいただいた。『夢のなかの夢』の「カラバッジョの夢」のところに。お願いするときに「ミケランジェロの夢」と口走ったことについては穴に入りたい。翌日の予定もあったので早めに退出した。


二日後にイタリア文化会館で行われていたタブッキ展を見てきた。
諸外国でのタブッキの本、タブッキの写真、ペソアやタブッキのイラスト、リスボンの書斎の写真、タブッキにインスピレーションを与えただろう友人たちの芸術作品、身の回りの品々。
タブッキの書斎の写真を眺めながら、アルベルト・マングエル『図書館 愛書家の楽園』の一節を思い出した。

住む人のいなくなった書斎には、そこで仕事をした作家の影がつきまとっている。そして、彼らの不在がいつまでも感じられる。

作家の書斎という空間で展開される物語、机を見張るために選ばれたオブジェ、棚に置くべく精選された本、このすべてがたがいに反響し、呼びあって、意味と親愛の情の網目を織りなし、ここを訪れたものに、この部屋の持ち主がすでになくなったあとでさえ、いまもここに生きているという錯覚をもたらすのだ。

散歩や外出の際に羽織ったのだろうコートが掛けられた写真が、どことなく寂しげだった。
タブッキの写真は髭を剃った近年の写真しか見たことがなかったので、口ひげを蓄えているタブッキというのは初めて見た。
身の回りの品々の展示の中に、ペソアの肖像が描かれていたエスクード紙幣があった。帽子をかぶったペソアの横に、すかしで帽子を脱いだペソアが描かれていた。そしてそこから顔を上げると、ケースのガラス越しに口ひげを蓄えたタブッキの写真がある。