パート2:漁夫王(たち)
荒野はこのような有様だが、それは漁夫王が苦しむ傷と大地が精神/魔術/象徴の層で結びついているからだ。癒されることも死ぬことも叶わずに苦しみ続ける膠着状態にある漁夫王その人が荒廃をもたらしている。彼の傷とはおおむねその生殖能力と関わっている。彼は年を取りすぎているか、股間か足に傷を負うことで不具となっている。いずれにせよ彼は不能であり、王国も不毛となる。彼はこの状況を打破する聖杯の騎士を求めている、聖杯の騎士の手で漁夫王は死ぬことができるのだ。
「マッドマックス 怒りのデスロード」における荒野の側面は容易に突きとめられるが、この映画における漁夫王(たち)を特定するのはより難しく、より複雑だ。もちろん、現代版漁夫王伝説はそのストーリーと共にたびたび自由な展開が効く。何てことはない、この伝説が中世騎士物語の中で肉付けされていったのはもう何世紀も前のことなのだから。
「怒りのデスロード」には二人の漁夫王がいる。イモータン・ジョーと、マックスである。
まず、漁夫王は荒野の支配者もしくは代表者である。となればイモータン・ジョーが明らかな候補となるし、事実彼は酸素マスクや保護の鎧が必要な老いた体である。彼は人々の苦しみなど意に介さずシタデルを支配する。伝統的に漁夫王は時間が止められた異界の城の中に住んでいる。漁夫王の近臣たちが宴を催す一方、外では人々が苦しんでいる。「マッドマックス 怒りのデスロード」の地理においてシタデルは明らかに異界の場所となっている。水が人々に降り注ぐシーンや温室が映し出されるシーンはほとんど魔術的に見える。ジョーは彼の富を分かち合うわずかな人間を選び出し、彼らは足の下にある苦しみを無視する。妊娠した妻のお腹にいた生まれなかった子供の父親であることから彼はいまだに性的能力は有しているが、その生殖能力を自らの縮こまった円環の中に留めさせ、それによって大地の荒廃をもたらしているかのように見える。
一方マックスは荒野を支配してはいないものの、少なくともマッドマックスを鑑賞する観客にとってはほとんど荒野の伝説である。さらに言えば、彼は不具になるほどの怪我を脚に負っている。映画の中では彼の足や靴が繰り返し映し出され、彼の体のこの部位を強調する(「トゥモロー・ワールド」でも同様の描写がある) 彼はブーツを失うが、ニュークスがそれを拾い上げ、後でそれを取り戻す。彼はPTSDに囚われており、彼に傷を負わせた過去の出来事を絶え間なく追体験している。救われるべきであった少女の幻影もまた暗示的である。この少女は守られ救われるべき生殖能力の象徴なのだ。
漁夫王伝説のいくつかのバージョンでは、二人の漁夫王が登場する。一人は聖杯の城に留まり、もう一人は城の外に現れ聖杯の騎士に助言を与える。同じようなことが起こっていると私は考える、たとえジョーは彼の城を離れていることを認めるにしても。しかしマックスは聖杯の騎士に直接関わり、ジョーを殺す手助けをし、それによって膠着状態は終わり生殖能力が戻ってくるのだ(これは妻たち、そして種のバッグの形で現れる)