パート4:聖なるもの
現代の漁夫王伝説すべてに、宴の行列に出てくる四つの聖なるものが出てくるわけではない。しかし「マッドマックス 怒りのデスロード」には出てくる。旧来の漁夫王伝説では、聖杯の騎士は城にたどり着き、中に入ると宴が催されているのに出くわす。この宴の途中に、四つの聖なるものにまつわる大行列が現れる。ハリー・ポッターのおかげでこの聖なるものというのが何かはわかるだろう。これは魔術的な要素を持つ物体で、この場合においては、漁夫王の傷やその癒やしにすべて関わってくる。
漁夫王伝説が生殖能力にまつわる物語である以上、半分が男根の形を、二つが女陰の形を持つことになる。男性的な聖なるものとしては投槍と長槍が出てくる。投槍は彼の呪いを打ち破るものである。長槍は時として王に傷を負わせた武器であるが、それは彼の解放/癒し/死にも大きく関わってくる。女性的な聖なるものは皿と聖杯である。皿は多様な形態で出てくるが、平たいということには変わりがない。例えば大皿、チェスボード、盾。そして最後に、聖杯は豊穣の角*1の性質を持つ。それは食物と癒しをもたらし、生命を育むものなのだ。
「怒りのデスロード」がこれらの聖なるものを組み込んだ方法は実に巧妙なものだ。聖なるものを物体にするのではなく、流動体にしたのだ。マッケンジー・ワークによるこの映画に関する論評「パブリック・セミナー:怒りのデスロード」を読むまで私はこれに気づかなかった。彼は論評の中でこの映画の構造にとって重要な象徴的な四つの液体について述べている。燃料、血液、水、母乳である。私は構造的分析より元型論的分析を行うので、この四つの液体の意味合いを伝説に近づけていこう。
男根的/男性的液体は燃料(ガソリン)と血液である。燃料は妻たちをシタデルから連れ出す(そして連れ戻す)ために、そして谷間を通る代価として扱われる以上、呪いを癒すための道具としての意味合いがあるだろう。伝統的な説話において、投槍はご存知エクスカリバーのような聖剣/魔剣として現れることが多い。この物語において選ばれた武器が車である以上、燃料は戦いにちなんだ男根像を明らかに象徴している。これを体現するキャラクターがニュークスだ。
同様に、血液も男性的な文脈を持つ液体であり、長槍と関連付けられる。長槍が王の傷自体に関わってくることからしても、血液であるのが道理だろう。これは血液袋のマックスに体現されるが、放浪者という立場、家族の欠如、砂嵐が通り過ぎた後で砂の中から「復活」する場面を通して、彼が荒野そのものを表していることが見て取れる。彼は最初ニュークスに輸血することでウォーボーイズやイモータン・ジョーの行動を活発化させる。もちろん、彼ら/彼女たちをシタデルに連れ戻すのは彼であるし、ついにジョーを殺し生と死の循環を蘇らせたフュリオサの癒やし手となるのも彼である。
女陰的/女性的な聖なるものに話を移すと、それは水と母乳になる。この二つは生殖能力と強く結び付けられているので、どちらが皿でどちらが聖杯かを明確に見定めるのは難しい。水と母乳は映画の序盤に現れるが、どちらもジョーによって厳密に管理されている。水は種を芽吹かせ多くの生物を養うために欠かせないものである。英雄たちを乗せたウォータンクがジョーの遺骸と共にシタデルに戻ったときに水が人々に解放されるのは、王の傷(そして彼の荒れ果てた王国)が終わりを告げたことを大いに象徴しているのだ。当然、水が母乳を出す女たちによって解放されるのは特筆に値する。
母乳は妻たちや母乳を出す女たちなどの生殖能力を持つ女性たちに体現されている。聖杯は命を育み養うことを意味する。女性の生殖システムというのはその両方である。子宮そのものは盃の形をしており、妊娠に際して命を育み、出産の後には胸が母乳で赤子を養う杯となる。
そしてこの四つの液体はすべて、漁夫王の呪いを打ち破り大地に豊饒さを取り戻すための鍵となるのだ。

*1:訳者註:ギリシャ神話において幼少期のゼウスに授乳した山羊の角を模った器。多産や豊穣の象徴