アルベルト・マングエルの2007年のインタビュー"Leer será en el futuro un acto de rebeldía" | Edición impresa | EL PAÍSを訳してみた。


インタビュー:作家 アルベルト・マングエル
「読むことは将来反抗的な行為となるだろう」

 文学の世界における画期的作品となった『読書の歴史―あるいは読者の歴史』の作者であるアルベルト・マングエルだが、ここでは彼は本やその主役となった優れた作家たちの世界を再創造したに過ぎない。次に『図書館 愛書家の楽園』を出版したが、ここで彼は世界中の偉大な図書館についての記憶を記している。紀元前3世紀に築かれた伝説的なアレクサンドリア図書館から始まり、私たちが現在享受している図書館まで、そして最後には暖炉のように常に帰り着く場所としての図書館の姿へと至る。

現在の資本主義はのろのろとした消費者を決して許しません。そして、文学は遅さを必要とします。

文学への愛は学び取るものであり、教えられるものではありません。誰も私たちに恋するように強いることはできないのです。


 マングエルの中で文学への愛が芽生えたのはきわめて早い時期の、ごくごく自然なことだった。「私は小さな大人のようなものでした。私を育てたのは乳母で、彼女と共に英語とドイツ語、この二つが私の母語にあたります、これらを私は学んだのですが、彼女は子供というものをあまりわかっていなかったようです。私の本棚には本がたくさん入っていて、彼女は週に一回私を本を買いに連れていってくれました。ですが本に熱中していたのは私の方で、物心つくや否や本は私にとって世界を開いてくれるものになりました。幼少期私はいろんな国を転々としていたので、毎晩本を開くことは知っているもののある世界へと戻ることでした」 大使の息子である彼はこうしたさまよえる子供時代にある計画を練った。そしてその計画はいまや叶えられたのである。つまり、自分自身の図書館が納められた家を建てるという夢は。
 『完訳 世界文学にみる架空地名大事典』の作者によって選ばれたのはモンディアンに位置するル・プレビトールという場所だ。この村はポワティエというフランスの街の近くで、ロワール川の南方の丘の上にある。フランス革命によって教会が手放したこの古い教会領でマングエルがこの場所を見出した時、そこにあるのは隣の領地との境目になる石壁がせいぜいだった。今やそこにあるのは砂岩によって築かれた巨大な船であり、15世紀の教会のブドウ園をかこっていた石壁に隣接する著者の家がその隣に立っている。夢追い人の図書館としてこれ以上ふさわしいものはない。その詳細についてさらに言えば、この図書館の棚は二段に分かれている。その上段で著者は活動に勤しみ、そこから羨望をかきたてるような彼の庭の風景、つまりカバノキやモミ、さまざまな種類の松が生えた草原へと目を向ける。そしてマングエルは沈黙がどのように聞こえるかに気づく。その地平線の向こう側にレオノール・ドゥ・アキテーヌやリカルド・コラソン・デ・レオンの墓があるような壮大なこの場所に、あの世の特性としての何かがあるのは間違いない。
 彼の書き物机のすぐ近くにはスペイン文学、ポルトガル文学、そしてその参考文献が置かれてある。古典の著者たち、そうした本についての本の種本、読書の歴史について書かれた本のコレクション、そしてアラビア文学集。いくつもあるドン・キホーテの版の中には、マドリードのある老人が営む本屋で買い求めた1782年の版がある。この版で目を引くのはドン・キホーテの想像上の語り手シデ・ハメーテ・ベネンヘーリの本物の肖像画という興味深いものが載っていることだ。それからジュネーブにあるボルヘスの墓の写真、シルビーナ・オカンポの描いたマングエル17歳の肖像画、彼の周りを取り囲む子供たちや友人たちのさまざまな写真の数々。しかし彼の大量の本のコレクションは下の階にある。
 一つの図書館が個人的なものであるように、そこに収められた本の多くもそれぞれの歴史を持っている。「私が初めて買った本はグリム兄弟のお話の本でした」 そうマングエルは言う。「私はイスラエルで読むことを覚えました。そこで父は大使を務めており、私は家の向かいにある本屋に行って好きな本を選ぶことができました。その本を買ったのは5歳か6歳の時ですよ」 さらにフアン・ラモス・ヒメネスの献呈したさまざまな本、カストロ図書館編纂のペレス・ガルドス全集、キップリングが自らに捧げた全集、ボルヘスのさまざまな著作などがあった。それらのボルヘスの本はキップリングの本のように作者がエル・アレフの作者へと捧げたものであり、エル・アレフボルヘスがブエノス・アイレスを離れることになった17歳のマングエルへと贈ることになる本である。
 彼の著作『図書館 愛書家の楽園』は宇宙の意味を問うことから始まる。しかし、意味を知る必要はあるのだろうか? 「人間は本を読む種族であると言えるでしょう。私たちは自然界は読み解かれるべきだと考えています。こうした矛盾の中で私たちは生きているのです。一方ではこの宇宙には何の意味もないことを知り、もう一方では物事の理由を自らに問いかけているのです」 そしてマングエルにとって疑いようのないことは、答えは本の中にあるということである。しかし今日では異なる時間という特権を本が享受できなくなっていることを彼は嘆いている。「テクノロジーの持つ長所は経済的理由から私たちの社会を前進させてきました。50年前には図書館は社会の中心に位置しており、読むという行為が大切なものであることに議論の余地はありませんでした。しかし現代の原始的資本主義はのろのろとした消費者を許しません。対して、文学は遅さを必要とします。文学が求めているのは足を止めること、熟考することであり、答えに達することではありません。ドン・キホーテが狂っているかどうか、それを知ることはできないのです。社会においては知的活動が重要だと私たちは言わなければなりません。すぐに目に見える効果をもたらしてくれない活動はすべて無駄であると言い立てる中で、どうやって若者たちに本を読むように勧められるでしょうか? 読者としての素質を持たない人間はいないと私は信じています。現代社会においては中心となる教会がもはや信じていない宗教の伝道者となるようなものです」
 アルベルト・マングエルのお気に入りの図書館の一つがハンブルグにあるアビ・ヴァールブルクの円環の図書館であり、この図書館のために彼は本の一章を割いている。大富豪の後継者であったヴァールブルクは、自分の図書館を維持し欲しいだけの本が買えるように資金援助をしてもらうという条件でその遺産のすべてを弟に譲った。この風変わりな人物のモットーは「汝は生きながらえ、我に害をなすことなかれ」だった。しかしマングエルから見るとこの図書館の手本となった図書館がある。「ロンドン図書館です。納めてほしいということで本が送られたり、また誰かが必要としているからということで本が購入される、そうした私的な循環型図書館です。美術館に所属された作品のように本を扱ったりしない本屋のようなものです。さらに言えばコロンビアの巡回図書館があります。そこでは山岳地帯の孤立した住民たちのために図書を乗せたロバが巡回し、村の誰かが本の入った袋を管理して期限が来ると本を回収するようになっています」
 本と権力者が相容れたことはついぞない。そのことからも、マングエルは抗議の要素としての文学の必要性を主張する。「本の歴史には常に検閲の歴史がつきまといます。文学のもたらす主なことの一つが考えることを学ぶこと、そして権力にとって最も恐ろしいものは思考する人々に他なりません。政治家にとって愚かな人々を相手にするほど簡単なことはありません。ですから愚かな人間へと教育するために本を取り上げるのです。これが独裁者が常にしてきたことです」 しかし現代における異なる形での検閲をマングエルは指摘する。「文学を天職とする編集者は今や同じように働くことができません。というのも彼らは経済的利益を得なければならず、これが文学の90%を排除することになっているのです。もし今日においてボルヘスが新しい本を持ちこんだとしても、それは出版されないでしょう。今では編集者はその著者の以前の本の売り上げに注目し、もし売れていなかったのであれば出版しないからです。どうしてこういう状況になっているのかといえば、こうしたことを決めるのもまた大いに見かけしか気にしない消費者たちだからです。アングロサクソンの社会で編集者の席についているのは批評家や経営者、そして本について意見を持っているこうした消費者たちです。もし彼らの持ちだす条件を受け入れるのなら五万部を買ってそれ以上でようやく利益を出せます。私たちがいるのはこういう状況であり、当然その結末が悲惨であろうは想像がつきます」
 では読むという行為は最後には反抗的な行為として残るのだろうか? 「読むことは常に反抗的なものでした。まず評価されるのは行動であり無活動は評価されないからです。そして読むことは思慮へと導きますが、思慮というものは常に危険なものです。さらには読むことによって自分たちが何者なのかを私たちは知り始めるのです。将来、読むという行為は単なる反抗的行為というだけでなく、生存のための行為にもなるでしょう。もし読む人としての私たちが良質の文学を読むことを禁じるような状況に甘んじるのであれば、私たちはより人間らしさのない存在になってしまうでしょう。それは当然立ち向かう力を失うという危険につながります。状況はすでに危機的です。私たちは自然界を破壊していますし、文学の世界を破壊するために全力を注いでいます。今こそ行動しなければなりません。今というよりは、今日と言いたいところですが」 このル・プレビテールにある図書館の標語は「汝の欲するものを読め」だ。というのもアルベルト・マングエルは本に対する愛情というものは教えられるものではないと信じているからだ。「読むということに対する愛は学び取るものであり、教えられるものではありません。誰も私たちに恋するように強いることができないように、誰も私たちに本を愛するようにと強いることはできません。こうしたことは何か不思議な理由で起きるものです。しかし私が確信していることは、私たちのそれぞれに、私たちを待っている本があるということです。図書館のどこかに、私たちのために書かれた一ページがあるのです」
(了)